木村拓哉、復活の兆し

ジャニーズ
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視聴率キングといわれた木村拓哉

SMAPが結成された88年、今のジャニーズ事務所のトップである藤島ジュリー景子は上智大学の学生でした。時が流れ、SMAPがCDデビューを果たしたのは91年のことです。

「木村も含め、デビュー当時のSMAPからしたら、時々コンサートなどに友人を連れて来場していたジュリーさんのことを『メリーさんの娘さんが友達を連れて遊びに来ている』という程度にしか考えていなかった。中居以下の4人にしてみれば、まさか四半世紀後に自分たちをバラバラにする怨敵になりうるとは夢にも思っていなかったでしょう」(当時を知る音楽関係者)

木村たちがジュリー氏の存在を明確に認識し始めるのは、それから約3年後。94年、後輩グループのTOKIOがCDデビューした頃のことです。時を同じくして、SMAPは12枚目のシングル『Hey Hey おおきに毎度あり』で初のオリコンシングルチャート1位を獲得。この年、木村自身も初期の代表作となる連続ドラマ『若者のすべて』(フジテレビ系)に出演し、大ブレークを果たしました。

「渋カジ、アメカジといったファッションに身を包み、髪をなびかせジーンズをズリ下げて履く”ロン毛腰履き”が当時の若い男性に大流行し、社会現象を巻き起こした。この作品がのちに視聴率キングといわれた木村のスタート地点という見方をする認識は多いですよ」(当時を知るドラマ関係者)

「木村=飯島氏」の対抗馬として現れたのが、「長瀬=ジュリー氏」でした。TOKIOデビューの準備段階から、マネージャーとして仕事に携わり始めたジュリー氏ですが、木村以外のSMAPのメンバーは、「後輩グループのチーフマネージャー」という認識しか持っていなかったようです。当時を知る芸能事務所関係者は、木村がジュリー氏にこんな声をかけていたことを記憶しています。

「長瀬いいよね、ジュリーちゃん頑張ってるよね」

そんな木村に対し、ジュリー氏は当時から好印象を持っていたようです。

木村拓哉と工藤静香の結婚

両者の関係に大きな転機となったのが、00年の木村の結婚でした。飯島氏は木村と工藤静香との結婚に猛反対していたといわれています。そんな飯島氏の意を汲み、一時木村は結婚を断念しましたが、のちに工藤の妊娠が発覚。そこで工藤が頼ったのが、メリー氏でありジュリー氏でした。

「飯島さんは自分を通り越してメリー親子に話を持っていった工藤に対し、相当な怒りを覚えていた。そのまま結婚を阻止できていれば、結果論ではあるがSMAPは解散していないと言えますよ」(当時を知る芸能記者)

06年の嵐ブレーク以降から、ジュリー氏と飯島氏のいわゆる派閥闘争が激化し、SMAPがジュリー派の後輩グループと共演する機会は激減していきました。当然メンバーがジュリー氏と会う機会もなくなりましたが、唯一、木村は工藤とともにジュリー氏との親交を続けてきたといいます。SMAP解散後、木村が”ジュリーの忠犬”と揶揄される事態になっていますが、両者の間には20年以上にわたる歴史があるのです。

「解散後、裏切り者のレッテルを貼られた木村は、ジュリー氏とともに数百万人いるといわれるSMAPファンからの猛バッシングを受けました。しかし、ここにきて、木村に復活の兆しが見えてきたのです」(同前)

19年1月公開の木村主演の映画『マスカレード・ホテル』(全国東宝系)である。

映画『マスカレード・ホテル』大ヒットの舞台裏

「東野圭吾作品ですからストーリの面白さは折り紙つき。そして、なにをやってもキムタクと言われる演技のほうも今回の役にハマり、おおむね好評です。そして、なにより興行面で大成功となっている」(映画評論家)

公開から4か月過ぎた19年5月、興行収入は46億円を突破しました。この数字を打ち出した日、ジュリー氏は手放しで歓喜の声をあげたといいます。

「興行収入46・7億円を記録した15年7月公開の映画『HERO』を追い抜く勢いだった。この映画は言うまでもなく、飯島さんが手掛けた木村の最後の作品です」(同前)

なぜジュリー氏は数字にこだわるのか。その答えは明白です。解散騒動のさなかだった16年1月にクランプアップし、翌年4月に公開した木村主演の『無限の住人』が、それまでの木村作品では到底考えられない興収9億円台で終了。”キムタクブランド”の没落を印象づける結果となったのでした。また、18年8月公開の映画『検察側の罪人』では、嵐・二宮和也との初共演で話題沸騰となりましたが、蓋を開けてみたら興収30億円にも届かず終了してしまった。

「嵐と共演するというジュリー氏の奥の手を早くも解禁して周囲は驚きましたよ。それも嵐の役者エースともいわれる二宮を配した。ジュリー氏は最低でも50億円の興収を見込んでいたようで、あまりのショックに相当落ち込んでいた。木村をどうマネジメントしていいかわからず、悩みぬいて、日々飯島氏の悪夢にうなされていた、なんて噂もあったほどです」(ジュリー氏を知る関係者)

実は、ジュリー氏は前出『マスカレード・ホテル』において、飯島氏の”ドサ回り営業”の手法を復活させています。18年暮れから19年1月末まで、様々な情報番組に出演した木村は、なりふり構わず映画宣伝を行いました。

「後輩であるTOKIOの看板番組『ザ!鉄腕!DASH!!』の人気コーナーにもフル出演するなど、木村がジュリー派になったいまだからこそ得た特権も生かし、八面六臂の活躍でした。時には、ヨゴレ芸人ばりの企画をこなし、週刊誌や夕刊には”あとがないキムタク””迷走するキムタク”などと叩かれまくっていましたが・・・」(同前)

映画出演は今後しばらく封印されますが、今秋の民放連続ドラマが予定されているという木村。このあたりにもジュリー氏の余裕が見て取れます。メディアミックス全盛の昨今、テレビの視聴率だけが重要視される時代ではなくなっており、かつての『ロングバケーション』(96年、フジテレビ系)、『ビューティフルライフ』(00年TBS系)のように30~40パーセントの視聴率は不可能であろう。しかし、『マスカレード・ホテル』で結果を残した木村・ジュリー氏のタッグには今後も期待する声が少なくない。

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