TOKIOで夢破れたジュリー氏の一発逆転の功績!

ジャニーズ
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TOKIOの前身グループ「城島茂バンド」

TOKIOファンにとっては常識ですが、TOKIOの前身となったのは89年、バラエティ番組『アイドル共和国』(テレビ朝日系)内で「平家派」(光GENJIのヒット曲「剣の舞」のバックダンサーグループ)のメンバーだった城嶋茂山口達也「城島茂バンド」というユニットを結成したことでした。

その後、ジャニー氏の鶴の一声でバンド名が「TOKIOBAND」に改名され、翌90年4月、「平家派」出身の国分太一松岡昌宏城嶋茂と合流後、3人でTOKIOを結成しました。

「のちにKが加入し、4人組となったが、城島茂がジャニー氏に『山口達也を入れてほしい』と直談判し、山口達也がメンバーに復帰したのです。」(芸能事務所関係者)

そして92年、TOKIOに起爆剤として投入されたのが、ジュニアのなかで頭角を現していた長瀬智也でした。その当時から長瀬に惚れ込み、グループ加入を後押ししたのがジュリー氏でした。

「ジュリー氏は長瀬に一目惚れしたんですよ。なぜって、当時ジャニー氏がスカウトしてくる子は全員が全員、低身長の線が細い昔ながらのアイドル。それに対し、長身の長瀬はその雰囲気を含めて当時のジャニーズにはいないタイプだった。ジュリー氏は、いわば男の泥臭い匂いに惚れたんですよ。しかし、長瀬は当時すんなりと正式メンバーに加入したわけではなかった」(同前)

Kが突如メンバーから脱退し、ジャニーズ事務所からも退所したのは、CDデビューを目前に控えた時期でした。その直後、長瀬が正式なメンバーに昇格。5人組グループとなった94年7月、TOKIOは日本武道館でデビューの記者会見を行い、同年9月21日に「LOVE YOU ONLY」でCDデビューを果たしました。

ジャニーズ事務所のなかで紅白歌合戦最多出場グループ

「実は当時、TOKIOはデビューから3か月と10日という当時の史上最速記録で紅白初出場を達成するほど人気だったのです。デビュー後、TOKIOは17年まで24回連続で紅白歌合戦に出場していますが、これはジャニーズ事務所に所属するアーティストのなかでは歴代最多出場記録です」(同前)

TOKIOは異色な存在として際立たせたのは、95年11月にスタートした『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)でした。同番組内の企画でTOKIOメンバーが農業、漁業、酪農などに取り組む姿は視聴者を釘づけにしました。TOKIOメンバーが「爪が土で黒くなっているアイドルなんてほかにいないから」と自嘲するように、彼らは「農業アイドル」として独自路線を築いたのです。ですが、そんな彼らに忸怩たる思いを抱いていたのが、長瀬に長年恋焦がれて続けてきたジュリー氏でした。

彼女を知るキー局プロデューサーが打ち明ける。

「ジュリー氏はTOKIOメンバーとしてデビュー後の長瀬を猛烈に売り込んでいました。これは”偏愛”といってもいいくらいでしたよ。もっとも、これは長年ジュリー氏の飯島氏への対抗心からくるものだったと言えます

『SMAPに続け』という位置づけで売り出されたTOKIO

当時の飯島氏と言えば、自らが手塩にかけて育ててきたSMAPがブレイク。とりわけ木村拓哉が96年のドラマ『ロングバケーション』、97年のドラマ『ラブジェネレーション』(ともにフジテレビ系)で爆発的な人気を博し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

「94年にデビューしたTOKIOは『SMAPに続け』という位置づけで売り出されていました。とくにジュリー氏は飯島氏への対抗心から長瀬を『キムタクを超える存在にする』と意気込んでいましたね。ところが、TOKIOはSMAP人気に押され、CDの売り上げは芳しくなかった」(同前)

ジュリー氏が飯島氏に対抗するための切り札が長瀬だったのです。ですが、その目論見は脆くも崩れ、SMAP全盛期時代が長く続くことになりました。飯島氏の牙城を崩すことができなかったジュリー氏の興味はやがてに向かうことになります。彼らがデビューしたのは99年11月ですが、当初は鳴かず飛ばずでした。

当初は売れると思われなかった嵐

「実際、当社では嵐なんて誰も売れると思っていなかったんです。ジュリー氏は当時、デビュー前の嵐とKAT-TUNを担当していましたが、順番としては嵐の次にKAT-TUN。でも、当時はKAT-TUNの人気の方が断然高くて、ジャニーズ事務所内でも『嵐なんていう不良債権がいるから(KAT-TUNが)デビューできないんだよ』という陰口がすごかったようです」(同前)

それから苦節6年。05年10月21日より放送されたドラマ『花より男子』(TBS系)で松本潤が注目を浴び、グループ全体の人気を押し上げる結果になりました。その後の嵐の活躍は誰もが知るところであります。TOKIOで夢破れたジュリー氏の一発逆転の功績が嵐の大躍進だったのです。

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