ジャニーズ事務所は設立以来、男性タレントの発掘・育成を担当するジャニー喜多川社長。
その姉で経営・実務面を仕切るメリー喜多川副社長で成り立ってきました。
しかし、SMAPの解散騒動以降、メリー氏は会社のほとんどの仕切りを実娘である藤島ジュリー景子氏に任せているという。
果たしてジュリー氏とはいかなる人物なのか
ジュリー氏が担当するタレントは?
今でこそデビュー組のタレントはジュリー氏が仕切っていますが、SMAPを担当していた飯島氏がジャニーズ事務所に在籍し、明確に派閥が存在していた当時、ジュリー氏が担当していたタレントは、TOKIO、嵐、V6、NEWS、関ジャニ∞、KAT-TUN、Hey!Say!JUMP、ジャニーズWESTなど。なかでもTOKIOの売り出しにはとくに尽力したというそうです。
SMAPに対抗してTOKIOを人気者にしようとした?
飯島氏の手腕によってSMAPがバラエティ番組で成功を収めると、ジュリー氏も対抗してTOKIOを人気者にしようと、各局に猛烈に売り込みをかけました。
TOKIOが伸び悩んでいた時期は『TOKIOはどうやったらSMAPを抜けるのか』と悩んでいたそうです。
飯島氏とも口を利かない時期もあったそうですが、お互いが切磋琢磨して、いいライバルという感じだったそうです。
ジュリー氏のテレビ局への猛プッシュにより、TOKIOは94年から17年まで24年連続で紅白に出場し続け、国民的グループと呼ばれるまでに成長したのです。
TOKIOの毎年紅白出場によるとばっちりを受けたKinKi Kids
TOKIOが、ヒット曲がないのに毎年紅白に出られたのは、ジュリー氏のゴリ押しがあったからです。
そのとばっちりを受けているのがKinKi Kidsです。
派閥で言うとジャニー派のKinKi Kidsは、デビューシングルから40曲連続でオリコン1位を獲得するほど売れ続けたのに、紅白出場は16年の1回のみです。
世間的にはKinKi Kidsは紅白に出場しないスタンスと思われているかもしれませんが、実はそうじゃないんです。ジャニー派だから出られなかったのです。
紅白の”ジャニーズ枠”に入れてもらえなかったのです。
本人たちは相当悔しい思いをしていたといいます。
ジュリー氏の推しメンは国分太一?
ジュリー氏はTOKIOのなかでは、とくに国分太一をプッシュしていました。
14年から18年まで、『タレント番組出演本数ランキング』で国分太一が5連覇を達成したのは、ジュリー氏の熱意だけではなくて、飯島氏への対抗心もあったようです。
それがジャニーズが大きくなる原動力にもなったようで、この時期はジュリー氏と飯島氏の仲が悪かったとしても、経営的には結果オーライといったようでした。
そしてジュリー氏はTOKIOの次に嵐を国民的グループに成長させました。
KAT-TUNを崩壊させた原因はジュリー氏?
飯島氏への対抗心を原動力とし、ジャニーズの屋台骨を支える人気者を生み出したジュリー氏ですが、一方で、KAT-TUNを崩壊させた原因がジュリー氏にあると語る人も少なくありません。
10年に赤西仁、13年に田中聖、16年に田口淳之介が脱退し、3人とものちに事務所を退所しています。
ジュリー氏はお利口さんで正統派のアイドルが好みだといいます。いう事を聞かなそうな不良っぽいタレントは苦手だそうです。対照的に、母親のメリー氏はヤンチャな腕白系が好きで、口では厳しく言っても、結局は世話を焼いてくれたりするそうです。
なのでKAT-TUNを冷遇するジュリー氏と、彼らを売りたいメリー氏は、営業方針をめぐって1年くらい口を聞かなかったことがあったそうです。
ジュリー氏を信用していなかったジャニー氏
故・ジャニー喜多川氏が「捨て犬の目をしているような不良少年が大好き」なのは有名な話ですが、実際、そんな少年たちに手を差し伸べ、情熱を持って育て上げることに人生を捧げてきました。
そんなジャニー氏の目に映るジュリー氏はどんな存在なのか。
ジャニー氏はジュリー氏の事を『ちゃんと熱意をもってタレントを育てることができるのか』と懐疑的に見ていて、全く信用していなかったそうです。
2人は同じマンションに住んでいたにも関わらず、行き来が全くないほど冷戦状態だったこともあったそうです。
だからジャニー氏は、ジュリー氏とうまくいってなかった赤西仁が、脱退前にKAT-TUNのコンサートツアーに参加せず、ソロライブを行うという理由で渡米した時には支援を買って出たそうです。
18年いっぱいでジャニーズを退所した元『関ジャニ∞』の渋谷すばるも、ジュリー氏の”好み”から外れたタレントのひとりです。
渋谷すばるは昔からアイドルの枠に縛られることを嫌がって、タトゥーを入れたりしていましたが、ジュリー氏の強い意向でタトゥーを消しました。それでも関ジャニ∞のメンバーとしてアイドル活動を頑張っていましたが、SMAPの解散騒動を見て、プツンと糸が切れてしまった。
さらに退所した赤西仁が自主レーベルに活路を見出して活動しているのを見て、関ジャニ∞としてアイドルでいる必要性を感じなくなったのだといいます。
ジャニー氏が好きな不良っぽいタレントは、ことごとくジュリー氏とうまくいかなかったそうです。だからジャニー氏はジュリー氏の”育てる能力”を全く信用していなかったそうです。
とはいえ、ジュリー氏もTOKIOや嵐を立派に育てた実績があるので、”好みの差”と言ってしまえばそれまでの話となりますが。
18年11月から19年3月にかけて起きたJr.の事件
退所した赤西仁の活躍といえば、18年11月から19年3月にかけてジャニーズJr.のユニット「Love-tune」のメンバーが全員退所するという「事件」がありました。
その背景には、ジャニーズ事務所に所属していなくても音楽で活躍できる道があることを示した、赤西仁の存在があったとされます。
赤西仁をロールモデルにして退所を決めたといわれる渋谷が、関ジャニ∞のメンバーにその意思を表明した際、グループ存続を訴えるメンバーの中で、しきりに関ジャニ∞の解散を推したのが、錦戸亮だったと報道されています。
『週刊文春』(19年3月14日)で「錦戸亮”脱退”で関ジャニ∞崩壊危機」と報じられて以降、いまだに錦戸亮に動きはないが、「錦戸の脱退は確定路線」と言う人もいる。
「彼は俳優として1人でやっていける力がある。俳優業をやりながらコンサートツアーで全国を回り、バラエティ番組に出て・・・そういうルーティーンに飽き飽きしていたと言います。シンプルにただただモチベーションが下がっているんです。ジュリー派の番頭格だった関ジャニ∞の崩壊危機を招いたのは”ジュリー氏の求心力のなさ”というのは、私のように御用メディアを長くやっている人間の耳には入ってきますよ。ジャニーさんがジュリーさんを信用していないのと同じ様に、所属するタレントもジュリーさんの求心力や経営能力、マネジメント能力のなさを見抜いている節がありますね。そんな不信感がSMAP解散騒動で一気に噴出した、そんな印象を受けます。」
SMAPほどのスーパースターにさえ、全国放送でみっともなく頭を下げさせる・・・そんな事務所なのか
タレントたちに募った猜疑心が、帝国の崩壊を招く大きな元凶となりそうです。
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